9/20-いよいよ入院
9/20
朝病院に着くと、そこには義両親と、義姉ご一家が!
その日は雨で、甥たちの野球が中止になったということで
駆けつけてくれました。
入院受付で予納金(手付金ですな)13万(高い!電動ベッド代)を払い、病棟へ。
案内された病棟は、産科にも続くところで、
女性専用ということもあり、全体がほんのりピンクの病棟でした。
早速寝巻きに着替え、身長体重測定。
身長170cm(伸びてる!)、体重58kg(増えてる!)と一喜一憂し、
体重は腫瘍のせいよ、と納得させました。
その日はただ入院しただけで、ただ食っては寝でした。
次の日から禁食ってことで、
夕食の後に下剤飲むのはなんだかなあ~って思いました。
9/21
この日から禁食で、ひたすら水を飲んでました。
浮かんでくるのはご飯のこと。
昼食は下剤、それもまたお会いしましたね!のマグコロール!!
今回は水と一緒に涙ながらに完飲。
午後には点滴がはじまり、いよいよ私も入院患者っぽくなりました。
点滴は、
ヴィーンD注(ブドウ糖加アセテートリンゲル液←なんのことだか)、
ヴィーンF注(アセテートリンゲル液←これもなんなの?)を、
何回か?打たれてました。
このあたりは空腹で記憶が曖昧です。
あと、何回もトイレに行って、ピーがぴーで水分奪われて
ふらっふらになってました。
そしていよいよ次回は愉快な?手術編です。
9/11術説明
手術の説明会に行きました。
今回はとうとう夫も参加です。
状況は、卵巣腫瘍→卵巣がん疑い、
骨盤内にΦ18cmの腫瘍(最初は15cmと言ってたのに!)あり、
充実成分(MRIで黒く写ったところ)があるので、
悪性を第一に疑う。
注腸検査や胃カメラで見る限り、そこからの転移はなさそうなので、
卵巣だけのもののようです。
手術はまず、腫れている卵巣を摘出、病理迅速診断、
良性、あるいは悪性でもⅠ期(*)なら片側切除のみ、
Ⅰ期以上、またはもう片方が腫れていたり、腹腔内に病巣を認めた場合は、
根治術(**)を行う。
(*)がんの進行の程度を表す言葉で、
Ⅰ期はがんが片方の卵巣だけにある状態。
(**)私の場合、子宮、両側付属器、大綱(***)、虫垂、
骨盤内リンパ節を摘出すると言われました。
(***)胃から垂れ下がって腸をおおっているもの、だそうです。
医学用語って難しいですね。要するに、
「卵巣取って、検査して、がんで進行してたら、周りも取っちゃうよ」
ってことです。
最近は、合併症やらなんやら最悪の話から、
果てしなく続く合意書の山で、素人さんにはわけが分かりません。
医学用語は、というか合意書の用語はもう少し、
やさしくならないもんでしょうか?
CTとMRIの違いも放射能を使うか磁気を使うかしか分かりません。
とれた画像の違いは何?
病気はいろいろな意味でやさしくありません!
究極のダイエット
上段左が9/2、右が9/19、下段が手術後7日目位の腹の状態です。
私の場合、腹が急速に大きくなったので、
癌の進行もそれほど進むことなく、摘出することができました。
よくやった、腹!とちょっと褒めてあげました。
それにしても、本当にぐんぐん大きくなってますね。
2.6kgの卵巣を出したことによって、
「(究極の)ダイエットや!」
と喜んでましたが、よく考えたら元の体重に戻っただけなんですよね。
そのことに気がついたのは、退院後1週間した頃でした。
がん(疑い)患者の周辺のひとびと
卵巣腫瘍→卵巣がん疑い→入院→手術、と
トントンに話が進みましたが、
本人以上に大変なのが、周囲のひとびとだったと思います。
私自身は、がん疑いと聞いたときも
「そんなにひどい状態ではないだろう」とのんびり構えていて、
危機感を感じていませんでした。
しかし、周りは別。
母は入院の間上京すると言い(帰って来いとも言われましたが)、
切らないと悪性かも分からない、と言うと元看護師のいとこから
「分からんってどーゆーことね!」と母とおばは責められ、
義母は近所の神社でお守りを買い、
挙句の果てには、ネパールにいる妹が、
「帰る」と言い出す始末。
そんな状況を引き起こしてしまった張本人としては、
「あわわ、大変なことになってもうた」
と思うばかりでした。
9/2の腹の状態(写真つき)
恥ずかしながら、
今回は写真を載せてみました。
決して太っているわけではありません!
へそから下のぽっこりは、
卵巣が腫れてこんな状態になっているのです。
8月に診察に行ったときはもう少し小さかったですが、
確かにこれなら
「妊娠5ヶ月」
と言われるのも納得ですね。
入院患者の持ち物
入院にあたって今回私が持っていったものを紹介します。
(婦人科で指定のあったもの)
T字帯、腹帯、水呑み、ストロー、清浄綿、ナプキン、和式の寝巻きなど。
T字帯は手術後のパンツ(というかふんどし、管入ってるから)、
腹帯は傷口に巻くさらしみたいなものでしょうか?
水呑みと清浄綿は、私は使いませんでした。
よっぽど術後の状態が悪くて、起き上がれないときに必要かも。
これは必要なら、病院の売店で買う、くらいの気持ちでもいいかもしれません。
和式の寝巻きは、まあ、浴衣ですが(術後に着せられる)、
女性なら、前開きできるネグリジェでもいいかも。
(入院案内にあったもの)
洗面具、シャンプー、リンス、湯呑、ちり紙、スリッパ、寝巻き、
ガウンまたは羽織、浴用タオル、バスタオル、等々。
これにプラスして私が持っていったものを紹介します。
耳栓(消灯後も起きている人が結構いて、また音も響くので持って行くと便利。
これにアイマスクがあると良かった)、
濡れおしぼり(口をふいたり、机ふいたり、大活躍)、
延長コード(皆から「アホか!」と言われましたが、携帯と音楽プレーヤー
同時に充電できて便利でした)、
肩から下げられるエコバッグ(売店に買い物に行くときに利用。
特に術後は両手が使えてラクでした)
本たち(入院中は4冊+病院の本6冊+NHKテキスト3冊)、
筆記道具(すべてネタだと、メモらずにいられない)、
かかとがないスニーカー(動きやすくて、すべりにくい)、
イヤホン(テレビを見るためですが、長いほうが動きに制約ができにくい)。
今、思い出せるのはこのくらいです。
入院される方はご参照ください(笑)。
ただ、あれこれ考えすぎて果てしない量になった(これでも削った)のは、
反省すべき点です。
8/23地獄の注腸検査!
翌日はまず腸からとなりました。
胃と腸を空にするため、検査前日昼食は、「すうどん、薬味なし」。
これだけでもつらいのに、母は目の前で「カレーうどん」………。
カレーの匂いがこんなに素敵とは思いませんでした。
夜はお茶だけを飲み、下剤を2種。
マグコロール液という下剤があるのですが、これがまた…マズイ。
スポーツドリンクに溶けなくなるくらい砂糖をぶち込んだ感じです。
マックスコーヒーを飲んだときのような激しく甘い衝撃でした。
翌日朝には浣腸の管を7cmも自ら差し込み、
水分も取れないので、病院にたどり着いたときにはもうフラフラでした。
検査ではお尻に穴の開いた紙パンツをはき、
(冗談で反対にはこうかと思いましたが、冗談にならないのでやめました)
まな板の上に。
お尻に管を突っ込まれ、バリウムが投入された瞬間、
「ぴぎょるるるぎゅぴれれぴゅうううううずぴょぴるるるる~~~~」
と最早、言葉では言い表せない音が、それはもう壮絶に…。
検査技師さんは聞きなれているから平気、と思いましたが、
検査後、バリウムが出るのでトイレに行ったら、
ここでもあの壮絶な音がして、これは本当に恥ずかしかったです。
(音の大きさも壮絶でした)
8/22結果発表!
ついに結果発表!
実家から駆けつけてきた母と義父母が揃い、いざ診察室へ!
「卵巣に腫瘍があります。がんの可能性もあります」
言われた!
(上の絵の白い卵型のところが全部卵巣で、
その中の黒いところががん疑いのところです。)
親指の先くらいの大きさしかない卵巣がこんなに大きくなるなんて…、
結構衝撃でした。
しかも、大きくなりすぎてどちらの卵巣が腫れているかも分からない上に、
切ってしまうまで良性か悪性かもわからないとのこと。
とにかくその日のうちに手術日が決定(キャンセルでたところにいれてもらって)、
さらに卵巣は単独では病気に(がんに)なりにくく、
胃や腸から転移した可能性もあることから、
こちらも検査することになりました。
8/19~8/21(MRI、CT検査)
早朝、もう一駅でネズミの国という所にJ病院はありました。
初めての病院でドキドキしながら初診受付し、診察室へ。
触診、エコーの後、
「15cm位の腫瘍があります」と言われ、
「どゆこと?」とも言えないまま(あまりの困惑に言葉も出ない、というほうが正解かも)、
即検査決定。
この日は、MRIと採血、20日に腹部CT、21日に胸部CTを撮ることに。
CTの造影剤は、ほんとに打ったあとだけ、かあーーっと熱くなって不思議な感じでした。
ことのはじめのつづきの…(病院その1)
(私の病日記)その3
盆明けの8月18日、バイトの帰りに
「まだ開いてるかな?」と覗いた近所の産婦人科。
へろへろ~と入ったその病院で、私は衝撃的な一言を聞きました。
「うーん、ちょっと分かりませんね。私、見たことないです」
心の声)は?何言ってんの、このおっさん?
(お腹を見せて、尿検査した後)
「尿検査の結果がなければ、一目見たところ妊娠5ヶ月なんだけど」
心の声)身に覚えがないので、想像妊娠か?うはは(ちょっとヤケ)
(エコー検査、触診の後)
「とにかく、お腹になんかある。水がたまっているようにもみえるが、
ここではこれ以上調べようがないので、病院紹介するので、明日行ってください」
ということで、病院から病院に流されていくことになりました。
ここにきて、一抹の不安を感じずにいられませんでした。